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怒涛の一学期を終えて

さとのたねが夏休みに入って1週間が経ちました。例年長いお休みに入ると体調を崩すのが通例でしたが、ここ数年はあまりそういうこともなく、元気に過ごしています。

それでも確実に年齢は重ねているから体の負担が大きくなるように思えるのですが、よっぽど1年目、2年目、3年目の時のほうがきつかったと今は思います。我が家の子どもたちが大きくなったというのも一つかな。

 

今も保育だけじゃなく、多様な場面、多様な気象、多様な人との関わりの中で、緊張感は絶えずありますが力の抜き方が重ねるごとにうまくなっているのかもしれません。

きっとスタッフも今頃体調崩しているか、思い切り緩めているんじゃないでしょうか。

人の心の間で動き続ける人って常にエネルギーの渦の中にいるから、私たちにとって心と体を整える長期休みはほんとにありがたいです。

 

我が家は子供も大きくなり、ほんの少しのゆとりで気力も体力も回復できるようになってきたので、「ねばならない」にならない程度に、この夏にぼちぼち発信していこうかなと思います。

 

さて、振り返れば、前年度から様々なご縁があって、私の力でないところで、何かこういろんなことが混ざり、動き出すようなことが連続的にある今学期でした。

私にとったら、今まで手を出してこなかった不得意分野をどう切り抜けるか、みたいなところがありつつ、お役目かな、と思い歩んできました。

そもそも「こうなりたい」という意志を昔から強くもたないわりに、ありがたいことに節目節目に、なにかこう、次のステップに導きだしてくれる人がいて、私の足らない部分は足らないままに、紡いでくれているような気がします。そうするとこちらも人様の力をお借りして、ここが成り立っているんだなと思うわけです。

私の力なんてたかが知れています。

目に見えることで言えば、できないことのほうがよっぽど多い。

やってきたことと言えば、自分の気持ちに正直に、ここは大事にしたいんだよねという部分だけ、地道にひたすら掘り下げてきたことくらい。

瞬発力も発信力も持ち合わせていません。

 

だけど、ここ数年、狭きものを広く届けるという視点をもつ人たちが現れて、

でも、それは「こうすべきだよ」、という関わりじゃなくて、「私がこれを届けたい」、という関わりで自分の思いを大事にしながら届けてくれています。

そのことがきっと私には心地よくて、「じゃお願いします、お任せします」、と思えるような気がします。

「個々が立つ」、というか。

真ん中にある思いは同じ、でもアプローチの方法が違うだけ。

もちろん、「ねばならない」(must)でやってきたことも0ではありません。

でも、私がどう転がってもできないことをやるよりも、それなら難なくやれる、もしくはやりたいという人がいることで新たな境地、展開が生まれることってたくさんあるという気づき。

どちらかというと、さとのたねはそうやってこれまで関わってきた一人一人が作ってきたものです。

特に「広げる」、という分野においては。

講演、電子書籍、インスタ開設、インタビュー動画作成、コラボ事業、行政へのアプローチ、、、

どれもお母さんたちの思いで広がってきたものです。

私の役割は、軸をもって根を張り、最終責任者として逃げずにそこにいることくらいでしょうか。

毎度毎度覚悟を問うこととなり、めんどくさがり屋の私にとってみれば正直恐ろしいですが…

 

さとのたねをこれからどうしたいもこうしたいもないと言ったら「何を!」という人もいるかもしれませんが、忙しくなっても、変化があっても、そういう時こそ、自分の感度には正直でいたいものです。

俯瞰はしますが、ほぼ直観力だけで生きてきた人間が、いまさらあれこれ先々を案じて計算しても、「今を生きる」ことからかけ離れては生きていけません。

 

私がいつもどこかで誰かの行動に勇気をもらい、生きているように、

私が私のままで、子供に関わり、自然に関わり、人に関わりしていることが巡り巡って何かのご縁になって、知らない間にその人が幸せであればいい。

どこにいても、ただただ自分を生きる、共に生きる。

そのことに感謝の一学期です。

 

さとのたね代表

岸本 梓