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自分を大事にしながら、人を大事にする

春休みに入って、ゆっくりできる!と思いきや、年度末飛び飛びでやることと向き合う日々です。

でも、まあ今年度はこうなるだろうと予測してたのと、自分で決めてやり切ろうと思っていたことなので、余白を作っては遊んでいます。

 

ここのところほんと忙しいので、心のバランスを保つためにも、ここは動くとき、ここは休む時の線引きがだいぶうまくなりました。

昔はよく学期ごと、季節の変わり目に体調崩していたけれど、キャパオーバーを幾度と経験するうちに体の回復も早くなった気がします(笑)

10年経った今のほうがずっとやることは増えているのに、さとたね5~6年目までのほうがしんどかったもの。

 

私はある部分「さとたねはしんどい」ことを隠さないので、受け取る人にとっては「なんだか大変そう」を植え付けてしまいそうなので先に言っておきますが、何をしんどいと感じるか、それは人に寄ります。

 

だって、みんな育った背景も環境も、気質も感じ方も違うのだから当たり前。

どこにざわつきを覚えたり、しんどさを感じたりするかはほんとに人それぞれで。

 

それと同じように子供もお母さんも、持って生まれた感性、感覚、その人なりの持ち味ってそれぞれほんとにすばらしいんですよね。

 

「持ち味」って言うと、得意なこと、とか、できること、とか想像する方もいるかもしれませんが、そうではなく、その人が最初からもつ原点的なものと、これまで生き重ねてきたその人なりの「味わい」みたいなものです。

 

私はどの人にも、どの子にもその持ち味はあると思っています。

そしてその持ち味は、時に誰かの心とズレたり、受け取り合えなかったりと、

うまくいかなさ加減も通りながら、時に響き合って深みが増していくんだとも思います。

 

子供たちを見ていると、そうやって自分と人とを信頼していく過程を紡ぎ続けていると。

 

それぞれの「持ち味」が人の間で深みを増す時、混沌を経て、温かく響鳴する時、

温もりの連鎖みたいなものが生まれます。

 

これは絶対に一人だけ、の世界では感じられないものです。

 

そういうことに立ち会えた時、私はたまらなくありがたくて、幸せだなと思います。

多分お母さんたちなら知っています。

私が「あ~今日も楽しかったー」って毎保育後にこぼしているのを(笑)

あれが私の中で生まれる保育後の感覚ですね。

 

確かに子供の世界も大人の世界もいつもいつもいい時ばかりではないけれど、

しんどい時がいつもいつもではないのと同じ。

だから、ありがたいことです。

 

さて、今年の3月はそれぞれ区切りの会・終業があっただけなので、ここ2年「卒業式・卒会式」を迎えていないのでその分心軽やかです。

子供はというと、1区切りを意識している子もいれば、学年が一つ上がることを楽しみにしている子もいて、まだよくわかんないわ、という子もいてそれぞれです。

区切りはどちらかというと大人のためのもの、かもしれませんね。

 

でも、

「あなたはちゃんと愛されているよ」、

「この世に生まれてきてくれて、出会ってくれて、共に生きてくれてありがとう」

の気持ちは区切りであってもなくても伝えたいものです。

 

そういう真っすぐな気持ちを伝える時って、子供はちゃんと全身で感じて自分の肥やしにしていこうとします。

 

今年はさとのたねの「またねの会」を子供たちのための「またねの会」にリニューアルしましたが、のやま組に進級する子供たちは、保育者のメッセージをお母さんのお膝で聞くとき、どの子も一言一句を全身で感じ取るような神妙な顔をしています。

不思議ですが、これが子供の力でしょう。

 

「自分を生きる」は、自分さえよければいい、という生き方とは違います。

「人と生きる」は、人に合わせて生きる、という生き方とは違います。

 

「自分を大事にしながら、人を大事にする」

 

いつまでも終わらないこの問いを、その中庸を、見事に子供たちは模索し続けていきます。

どこまでも「自分をあきらめない」姿に、あっぱれです。

 

さとのたね

代表 岸本 梓