あっという間の夏休み。蒸し暑さはいつまで続くのかと思いきや、今日はさわやかな秋の空気感です。空が高くなって風が変わっていく夏から秋の季節の変わり目はとっても好き。
さて、先日重要な会議に出席し、あまりにも自分が場違いなところにいるような気持ちにさいなまれ、どっと疲れが出まして、もうそうなると眠くて眠くて仕方がない。
それでしばらくこんこんと眠り続けていたのですが(動物の本能みたい(^^;))、数日して今度は小学生のデイキャンプ。
よいしょと重い腰を上げて挑みました。
内容は秘密基地と竹ランタン。
ですが、こちらが何か特別に秘密基地の手ほどきをするわけではないので、そしてそのあたりのことはOBの子や何回か参加した子たちはわかっているので、到着するなり、自由な発想で作り始めます(笑)
1人で作り始める子もいれば、誰かと一緒に共同制作の子もいます。
作ってるうちに、隣の子の基地が気になってちょっかい出したり、お邪魔させてもらったりしながら過ごします。
没頭すること1時間半。。。
子供ってほんとにすごい!
3人は住まうことができるティピ風住宅、竹の枝を駆使して作った家、三角屋根にこだわっった家、家の中がすでに生活感溢れている家、室内干しが可能な家、様々!
それぞれにこだわりどころがあって、暑いのも気にならない。
一人一人が職人のよう。
「この子には集中力があるとかないとか」って、例えば学校での姿、とか決まった遊びとか、一つの側面からだけでは測れないよなって思います。
どの子にも没頭する時間はあるし、何に夢中になるかはその子次第。
基地作りそこそこに、竹やぶで竹切りを始めたKとM。
周りには何十匹と蚊が飛んで二人を猛攻撃。私は内心ヒーって思ってたんですがKは快活に笑って「みてこの足!ぼこぼこ!」と言います。
竹の太さ、長さ、節の長さ、枝が少なめかどうか、それを見極めて、これにする!と決めた2本を切り出します。蚊も気にせず竹を切ります。
Mの手つきと表情を見て、「疲れた?変わろうか?」とK。
子供ってほんとによく見てます。
まるで好きなことだけやってるように見えて表情やその人の醸し出す雰囲気から対話をする姿。
私たちが見習うべきはこういう感性、とつくづく思います。
KとMは二人で重い太い竹を力を合わせて運び出し、その後も周りの子に声をかけながら、
「○○やってみる?やりたかったら来てね」と秘密基地作りに没頭する子らの思いも汲みながら声をかけて巻き込んでいきました。
誘われた子たちがいつの間にか今度は竹割と節取りに夢中になっていき、知らぬ間に心動いています。
終わったよーとか、ちょっと腕いたいとか、でも楽しいもう一回やりたいとか、やっぱ交代して、つぎは○○ね、とか交わしながら。
そしたら最初は2人で始めたことがなんだか3人4人と広がって、5人6人、、いつのまにかみんなでできちゃったねという共同体感覚が生まれているわけ。
自分のあるがままを大事にね、
だけど人も大切に、
そんな正しさいっぱいの言葉では子供同士の関わりは片づけられないなと思います。
子供はおもしろければ心も体も動くし、その先の困難も工夫します。
1人より2人がいいぞと思えば誰かが声をかけて、「やってもいいかな」みたいにほんの少し心動いた子から、また「なになに?なにやってるの?、面白そう」って子が繋がっていったり、、、
1人の主体性(ありのまま)は1人では成しえない、
必ず誰かとの関わりがあって、微調整しながら、どの子の主体性も生かされる、
認め合うというその感覚・感性をいつも子供たちは真っすぐに伝えてくれる気がするんです。
幼い時からあらゆることを抑え込まれてきた子供は、大人になって「微調整」が難しくなっていく気がします。
「自分」がだんだん見えなくなっていくから。
本能的に人は一つの方向に抑え込まれれば抑え込まれるほど真逆に振りたくなります。
でも、真逆に振ったその場所に自分と他者に対する信頼感と安心感があるかと言えばないわけで。
好きなようにみんな生きたい、でも、好きなように生きていたら必ず他者とぶつかる。
だから各個人の自由を前提に無数の体験の中で、「微調整」と「工夫」を子供たちはしているわけです。
1歳も、2歳も、3歳も。
なんどもなんどもぶつかりながら、工夫し、微調整し続けている。
自分の存在そのものを大事にされていれば、微調整はしても、そこから自分そのものを失うことはありません。
それは自分のありのままだけを声高に主張し、抑え込みに反発して真逆に振った姿とは全く異なります。
だからすごいなって思うのです。
彼らはおかれた環境を選べない。
でも、どの子も自分を生きたいと願ってる。
その軸をもとに人と生きたいと願ってる。
竹を切ろうとしていたある女の子が「あ~失敗したらどうしよう」って言ったのね。
だから私、「失敗したらどうしようってここで言えてよかった」って思いました。
やりたいけど失敗が怖いからやらないって決める前に、失敗したらどうしようって、
ここで、みんなのいる前で、心の声を言葉に出して、つぶやけてほんとによかった。
「そっか、心配なんだね。何回失敗しても大丈夫だからね。
うまくいかなければ何回でもやり直せばいいよ。誰かが助けてくれるしね。」
そう彼女に伝えました。
たった7,8歳にして子供たちはいつの間にか失敗してはいけない、間違ってはいけない、そういう価値観をどこかで拾っている。
そしたら今度は「失敗しても大丈夫」そういう価値観を近くにいる人が届ければいい。
少なくともいくらでもある竹を前に失敗を臆することなんてないのだから。
でも、「責任」という意味をどう捉えるかはこれからの長い人生、時と場合によって違っても来るだろうから、
そしたら微調整しながら自分で選んでいけばいい。
選ぶ前に、今はたっぷりと自分で感じることを届けたい。
1歳も2歳も3歳も、小学生だって、結局育っていく過程はおんなじ。
自分で感じることから離れたり、すっ飛ばしてるならば、やっぱりここから。
そして微調整、ですね(笑)
さとのたね
代表 岸本 梓