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10周年に寄せて

3月に6人の卒業生を送り出し、また新しい春がやってきました。子供たちと日々過ごしていると1年がほんとにあっという間です。今年ののやま組年中の子たちの記念樹はビワの木でした。

「記念樹」というのも最近は聞かなくなっています。

昔我が家では、子どもが生まれたら父が記念樹を選んで庭に植えていて、私の木は「モクレン」でした。

おかげで大きくなっても春、「桜と同じころに咲くのはモクレンの木」と覚えています。

小学生くらいの頃には、木のぼりにもちょうどいい高さと太さの木に成長していました。

何年か経って、家の庭に増築したとき、何十年か経って、木に虫が入ってたとき、モクレンの木を短く切らなけらばならなかったけれど、根が丈夫なのかモクレンは毎年春になると小さな芽吹きをつけていました。

そうやって、小さな住宅街の家でも、なんとなく自然と共に在ることを感じつつ育ったものですが、今はそういう風習も減ってきていますね。

のやま組の1年目は梅の木、2年目はみかんの木、3年目はビワの木。

それぞれ実がなる木を選んでいますが、実をつけるのは子供たちが卒業して植樹したこともすっかり忘れたころでしょうか。

長い年月と共にゆっくりその木のままに育っていけばいいなと思います。

 

話は変わって、今年の3月で、さとのたねは丸10周年でした。真新しいことは何もないのですが、毎年度末にさとのたねの会員一人一人が綴る「言の葉集」に、「10周年に寄せて」という文章を書いたので、10年の中で繋がり、関わってくださったすべての人への感謝を込めてここに掲載します。

 

10周年に寄せて】

年度末、相変わらずの怒涛具合に笑っちゃいます。

5日保育、帰宅してからは1日何十件とくるメール対応、フォーラム、認証制度、学校連携、行政対応、翌日の保育準備、種々の書類作成、、、

そこに、島根の長男(高3)のコロナ騒動、(共通テスト見送り、40℃の熱を出しながらの出願、教頭先生による家族同然のサポートからの4時間かかる療養施設までの移送、1週間の軟禁生活)そして、復帰後のスマブラ受験(←これはぐっちーが見事に命名笑)、まだ現在進行形で、常にネタに絶えない我が子の遠距離伴走しつつ。

いや、もうほんと笑うしかない。

結局最後は嵐を呼ぶ息子にまた一つぐぐっと器を広げてもらう始末。

でもね、一番遠くにいる長男が一番近くに感じられたのは、今まで3人の我が子が通ってきたどの学校よりも、島根の高校は、家族のような近しさと、温かさと、交わりがあったから。おかげで私は寮の同部屋の子の名前を全員言えるし、彼らにはいまや事あるごとに「おかあさーん!!」と絶叫される存在に。

彼も私も、親子の関係だけでどうにもならないとこを誰かに助けられ生きていると感じられた時間でもありました。

忙しくたって、こういう繋がりには引っ張られるものがあります。

寮部屋内でコロナにかかった時も、彼は誰のせいにもしなかった。で、その仲間とは、仲良く共テの追試を受けた。

自分と、他者に対する信頼感がないとこうはならない。その関係性が透けて見える。やるじゃん息子、と思う母()

いつだって私を育ててくれるのは我が子なのです。

 

話は変わり、長年の同志でもあるゆみちゃんが「流したくなかった」と今年度のうちに10周年をと動いてくれていました。

我が子の歳も、自分の歳も大体でしか数えられない私は、9年でも10年でも11年でも一緒の感覚なのだけれど、その心意気が嬉しかった。

それで、さとのたね(旧たねっ子)で「言の葉」を書き始めた最初の年の文集を開いてみます。

 

~3年前の春、「1歳児の預け合いを始めてみようと思うの。名前はたねっ子で。」という私の思いつきで「森のようちえん・たねっ子」はスタートしました。

当時「根っこの子(自主保育)」の第2子、第3子がちょうど歩き始めた頃でおんぶして野山を歩くにも、連れて歩くにも余裕をもって当番に入るには難しい時期でもありました。

歩き出したばかりの1歳児は好奇心旺盛。思いのまま触れたがり、試したがります。ベビー当番に預けておくだけではもったいない。かといって、年少~年長児と一緒のペースで歩けるだけの体力もまだない。1歳児は5人もいる!自分が保育者として関わり、預け合いを始めたら根っ子とは違った自主保育の形が見えてくるかもしれない、そう思ったのが始まりでした。~略~

たねっ子を始めた年は次男が根っ子の年長児、さほこは0歳児でいつも背負っての活動でした。試行錯誤のうちに3年が経ち、その中でたくさん失敗もしてきました。自分の子を育てながら同時に保育者という立場が成り立つのだろうかと正直何度も足踏みした時期もありました。自主保育に限らず、森のようちえんや保育園などへの視察を重ね、保育者として覚悟を決めたのは2年目でした。今思えば当時の根っ子の母たちが背中を押してくれたのが何よりも大きかったように思います。

~略~

保育者である一方、母としてたねっ子に関われた時間は私の宝物です。活動時は、意識的に一線を引いていても、そこから離れれば同じ年の子を持つ母親同士。日常生活の愚痴を聞いてもらったり、一緒に出掛けたり、お互いの家を行き来したり、何か用事があったらさほこをお願いね、と気軽に頼むことができる私にとってもかけがえのない仲間となりました。さほこは気づいたら育っていた、という感じですが()

来年度もたねっ子たち、母たちと共に育ち合い、温かな会になることを祈念して。(「平成26年度・言の葉より」)

 

…ですって(笑)

母同士の関係性と、保育者としての自分に境界線を引く図太さに感心します(笑)でも、振り返れば、「失敗」という言葉通り、コミュニケーションの部分では、たくさんたくさん失敗してきたし、涙も嫌というほど流してきた。

そして、人が流れていっても、私はここでずっとやり直しをし続けています。

あの時手放すしかなかった関係性もあったし、対話ではなく正しさをぶつけ合う議論に陥っていたこともありました。

 

だから私は、つなぎ役の立場の人(保育者)を置いて、お母さんたちがお母さんとしての喜びをもってここで過ごせるといいなと思っているのです。

当時の混沌期において、ゆみちゃんには随分無理をさせたと思っています。ゆみちゃん、脈も薄いし、体力もそうないのに、ほぼ選択の余地なくスタッフになっていますから。ぐっちーも美香ちゃんも、必死だった我が子との自主保育時代を経て、あらゆる清濁を経験して、ここに立っています。

きっとあの時のしんどさとはまた違ったしんどさを抱えながら、今も自分の器を広げ続けています。

「たねっ子」を起ち上げる前のエピローグ、我が子(次男)の自主保育時代の「根っこの子」での実践も含めたら、今のさとのたねはずっと楽な仕組みになっている、とも思えます。

でも、あの頃のままがいい、と思ったことはありません。

色々を経てるから、軸は動かさず、やり方を変え続けてこられたのです。

「共に育ち合い、温かな会になることを祈念して」という軸に立ち返ればいいのだから。

子どもたちの日々が毎日異なるように、今この瞬間も異なりながら、一人一人によって紡がれています。

その軌跡一つ一つに、心からありがとう。

 

多分、ゆみちゃんは、そういうことをひっくるめての10周年への思いだったのではないかと今更ながら推察するのです。

さとのたねがチーム(組織)として保たれているのは、父性性としての枠組み・境界線を保つ人たちが器を築き、お母さんたちによる受容、共感部分の母性性が守られているからです。これがなければ、自主保育同様、ずっと前に沈没していると思います。

だから、「自分を生きながら、共に生きること」をチームとしての軸に置き、一人一人に問い続けるのです。

 

子どもも大人も(お母さん)も、失敗しても大丈夫。気づいてやり直し、また新たな世界を広げていけばいい。

ここを卒業してもやっていくことは同じ。子育てにゴールはないのだから。

『子どもの人生は、子どものもの』、『命の根っこは腐らない、自分とその子の命の根を信じ続けよう』

一人一人に愛を込めて。

 

令和5219

(一社)よつかいどう野外保育さとのたね

 

代表 岸本 梓

 

 

1月に、10周年やろうというスタッフゆみちゃんの呼びかけで開かれた10周年記念企画。

懐かしい子供たち、お母さんたちの顔、顔、顔、

あの時のあの日が思い起こされて、そして、留まることなく次の季節に、次の代へと巡っていくのね。まさに動的平衡の世界。

 

続けなきゃと思ったことはなくて、どうなりたいとか大きな目標とかもなくて、

誰もいなくなったらやめどきねと思いながら。

ただ目の前に出会った親子と日々を紡いできた10年。

真新しいことはなにもないけど、自然の中で子供たちといるとほんと同じ時がないのね。

毎日毎回、気づき、気づき、気づき、の連続。

そのはっとする瞬間に、大人の目と目があってまた笑えてね。

ただただそれがおもしろくて。

ほんとそのたびに私が幸せにしてもらってます。

ありがとう。

 

ちょうど昨日、りんごの木の40周年記念YouTubeを見ていたら、中川ひろたかさんが「自分の手に負えなくなったら、負える範囲で深めていけばいい」と言っていたのね。

そうそう、私手広くやれるほど器用じゃないし、人の手を借りながらしかできないんだったわ。

しかも目の前にいる人に本気でエネルギーを使いたいから、その範囲が精いっぱいなのよ。

抱えてることは無責任に手放したりしないけど、「手に負える範囲で深める」という一言は、ちょっと背中を押してもらった気分でした。

 

目まぐるしい毎日だけど、自分のご機嫌は自分で取りながらぼちぼちいきます。

かわいい子供たちと、愛しい母ちゃんズと♪

 

さとのたね

代表 岸本 梓