2025年が始まりました。今年もよろしくお願いいたします。
年末年始、お正月は家族が揃いゆっくり過ごすことができました。うちは長男と三番目の娘は遠方にいるので、みんな揃うとやっぱり賑やかです。
長男は気づけばもう二十歳。だーっと駆け抜けた子育て期を振り返って、あの時の苦い思い出みたいなことも思いだされます。
今のさとたねのお母さんたちをみても、私、こんなにも丁寧に我が子に寄り添えなかったわ、とつくづく思います。だけど、我が子との日々は、とにかく濃かった。
たくさんのあきらめと、学びと、違いを知ることの連続でしたね。
ほんとうに大変だったけど、心底おもしろかった、
そんな感じかしら。
この子たちに、私を深めてもらったとも思います。
長男からは、「僕は成人式行きません」と宣言いただいたので、我が家でお祝いをすませたのだけれど、せっかくの機会。
昔を思い出しては、自分の気持ちぶつけすぎちゃったなとか、やりすぎたな、とか、自分の中に苦々しく残っているものを成人を迎えた長男に聴いてみることにしまいした。
あのときのあれ、覚えてる?
と聞くと、大半が覚えてない、と(笑)
逆に私はすっかり忘れているけれど、本人の中に引っかかってたことを聞いて、謝罪。
でも、親も含めて大人に対して嫌だったこと、許せなかったことって3つくらいしかないんですって。
ちょっとびっくり。
ほっとすると同時に、それはお母さん悪かったね、と伝えると、「次に(さとたねの子たちに)いかせばいいよ」と、大人な回答。
家でこういう話ができたのは、それはそれでよかったかな。
子供は今、今、今の連続で生きています。
先をみて、計画的に、順当に、生きているわけじゃない。
ここから大人ね、って線引きなんてできなくて、親が気づいた時には子供は親をとっくに超えていたりします。
何をしてやれるかなんておごりでしかなくて、何もしてやれない。
子供といるって、何もしてやれないことをわかっていくことなのかもしれません。
いい時だけじゃなく、しんどい時も、繋がりを切らずにそこにいること、
それだけで十分。
私がどう生きようと、その子がどう生きようと、繋がりながらそこにいること。
この日のやり取りで、彼が最後に言っていたこと。
「○○したからこう育つ、みたいなことは違うと思う」
背負いすぎてるお母さん、子供は子供で生きています。大丈夫です。
でも、繋がりは切らないで。繋いでいて。
自然も子供も我が身も同じ網目のなかにあって、いつだって一筋縄ではいかないです。
一筋縄ではいかないことをどんどんはさみで切っていったらどうなるんでしょう?
大変だけど、おもしろかった、
めんどくさいけど、おもしろかった、
今年も、隣にいる人たちとそんなふうに感じられたら幸せです。
ごちゃごちゃした網目の中に光を見たいです。
さとのたね
代表 岸本 梓